この辻家の危機に際して、長男、市太郎がふるさと吉川での就農を決意します。突然の父の他界から一念発起、母、清子との二人三脚の農作業が始まりました。
その時、市太郎は父の母校である東京農大の厚木農場での1年の研修を経て関東の種苗会社に研修社員として就職、自分の目指す農業への熱い思いを育んでおりました。そんな折、突然の父の他界は平成7年12月、就職2年目の年の瀬のことでした。
途方に暮れる母、清子の不安をよそに、市太郎は年明けには会社を辞めて帰郷します。強い決意をもった就農です。戸惑いと不安もありましたが、父が農事の合間を縫ってしたためてきた農作の詳細なノート、貴重なメモの数々が、母との二人三脚の農業を支えてくれました。
メロン栽培に初めて取り組む市太郎は、先ずは父のしてきた仕事をひとつひとつなぞりながら、手順を覚えていきました。一旦は、規模を縮小したものの徐々にもとの経営規模に戻していきました。
また、市太郎はこの生まれ育った吉川という風土への愛情を人一倍強くもっています。このびわ湖フロント、東岸にひろがる大地、吉川で誇りの持てるプロ農家を貫いていきたい。その思いがメロン栽培にとどまらず、水稲、麦、大豆にも注力する道を開きました。育成・栽培技術の研鑽はもとより、農機や設備についても先取のスピリットで取り入れていきます。