昭和25年、良一、奈良漬で農林厚生大臣賞授与される。

昭和25年、良一、奈良漬で農林厚生大臣賞授与される。

原材料の選良から加工まで一途に品質にこだわり続けたことが評価され農林厚生大臣賞を授与されました。

吉川の土壌は砂質で深く肥沃なことから、美味しく育ちの良い根菜に適していました。先代、辻良一はこの地にて農と食をつなぐ強い思いで奈良漬加工業を始めてようやく手ごたえを感じた頃の栄誉です。

 

吉川は、琵琶湖南東部の湖岸に位置しています。古くより野洲川北流が氾濫を繰り返して形成された肥沃な砂質地帯に発達した豊かな農業のふるさとになりました。米どころとして知られ「豊積(とよづみ)の里」と呼ばれ、近年では水稲を中心に麦、大豆を輪作する有数の穀物生産地です。

大根の栽培ほ場
洗われた大根

その一方、吉川地区が野菜栽培にも適した土壌に恵まれていたこともあり、野洲市内でも唯一、野菜専業農家が多く、春菊を中心とした施設園芸農業の地としても知られておりました。また、栽培土壌が深く肥沃であるという特性から、ごぼうやダイコンといった根菜類にも適していたことから、その作物は高い評価を得て、手掛ける農家が増えていったのです。

べったら漬けの本漬け作業
べったら漬けの出来上がり

辻良一が手掛け始めた漬物加工業も、この吉川に産する美味しい青瓜や大根を大いに生かそうという思いが原動力です。吉川の土壌で良質の「青瓜」を育て、奈良漬に加工、さらに販路開拓まで自作自営する、今でいう六次化の道に入ったのです。「農を食につなぐ」という思いを胸に大転換を図りました。それは、農家が豊かに暮らせる道へのチャレンジでもあります。それから永く昭和50年代まで、漬物用青瓜を自作畑60アールで栽培しそれを材料に加工するというのが辻家の生業になったのです。

 

自作の青瓜だけでなく近隣農家の契約栽培分も一手に引き受け奈良漬加工、一部は塩漬けの段階で京都の酒造会社に奈良漬加工用として卸売りするといったことも手がけています。冬期には店舗への卸売り、出荷用にべったら漬、葉付き大根のふすま漬もやりました。ピーク時には、東京、池袋西武など東京市場向けに出荷するなどまさに盛業を極め、追われるように多忙な毎日を過ごしていました。

 

近江沢庵ステッカー
奈良漬ステッカー
千枚漬かけ紙

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