昭和54年、メロン栽培を始めました。

市太郎子供時代トラクター

地域ブランドづくりが叫ばれるようになった時代です。私たちも、高付加価値作物として期待されたメロンに賭けていきます。それは、未来に夢を持つことのできる農業を切り開く決意でもあったのです。

 

昭和54年、摘果メロンをまるこ漬に加工する技術を教えるのを条件に地域外の守山市農協 の守山メロン部会に入会、メロンの栽培を手がけ始めます。パイプハウス一棟から始め、3年後には10棟・30.5aのメロン栽培をしていました。

 

メロン栽培と同時にJAと取り組み始めたのが、摘果メロンを使った奈良漬の商品開発です。ここには長年家業としてきた奈良漬加工のノウハウを活かして、地域の農家にも大きな経営改善につなげられるやりがいある仕事です。

 

青瓜のハウス促成栽培も、メロンのハウス栽培も、吉川では当時、先進的な取り組みです。すなわち前例のない手探りの仕事になります。メロン栽培は、堆肥作り等さまざまな技術の工夫とともに、朝に夕に気の抜けないまるで赤子を育てるような仕事の連続でもありました。

 

しかし、この仕事に精出しできたのには理由がありました。次の世代といっしょに夢を持って取り組める高付加価値営農への大きな夢がメロンの実に託されていたのです。

 

メロン接ぎ木作業 その1

メロン接ぎ木作業

メロン接ぎ木作業 その2

 

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